中村副代表による体験発表 ~視覚障害者になってからこれまでの体験談~ ※最初のほうの録音がうまくいっておらず、1分ほど会話が文字化できておりません。 ※なお、お話しに出てくる個人名、話者については出村・中村以外はイニシャルで表記しています。 ※「●●」は聞き取りが不明瞭な箇所です。 ※あくまで中村副代表のお話を忠実に文字化しているものなので、その当時のものもあるため、現在の実情と必ずしも一致していないこともありますことをご了承ください。 ※あくまで中村副代表個人の話であり、「ノー・リミット」全体として主張するものではございません。 ※内容もさることながら、あくまで、会の雰囲気などを細かに知っていただくためのものとして。お読みいただければ幸いです。 (00:00:00) 中村:自分がそれまでやってきた教員が何だったのかということがよく分からなくなって、家族からも責められたりなどいろいろとあって、生活が少し荒れてしまいました。  そこの所で数年間、何もしないでぶらぶらしていたところ、生活が荒れていたということもあって。私の家系が糖尿病の家系だったので、糖尿病が発症してしまって。最初は「なんか急に周りが暗くなったな? 」というような感じだったんだけど、それが徐々に、だんだんとひどくなっていって、家の中で見たら青と黒の違いが分からない、お箸の色が、黒い塗り箸とか青い塗り箸とかを取ってきたら、母親から「あんた、全然違うの取ってるやん」とか言われるようになって、これはちょっとまずいということで、眼科と糖尿病科に行ったら糖尿病だと言われたので、博多駅にある『林眼科』に行って診察、入院、手術という形になりました。 右眼も左眼もということで手術を受けて。最初のうちは、左眼はまだ少し見えてたんです。最初の障害者手帳の等級は4級でした。見えてたんですけど、こっちのほうが光をもう感じなくなって、今では光が全然見えなくなりました。そんなふうで、手術を受けてから半年経たないと障害者手帳って発行されないので、家でぶらぶら、何をするでもなく暮らして、めでたくというか、手術が終わって6か月後に市役所に行くと、「はい、あなたは障害者手帳が発行されます」ということになって障害者手帳を受け取りました。ただ、障害者手帳を受け取ったんですが、「この後、何をしていいのか」ということが分からない。お役所というのは何も言わないから。聞けば、何か言ってくれるかもしれないけどこっちが「何をしたらいいですか? 」と聞いても、木で鼻をくくったようなことしか言わないから。結局、言われたのが、「同行援護の事業所がありますよ」ということと、「あいあいセンターという所があるから、そこに行くようだったら連絡してくださいね」ということでした。 ただ、あいあいセンターが何をする所なのかも言わないので、「何なんだ、それは? 」という感じで、よく分からなかった。 じゃあ、どうしようかと。「障害者手帳を受け取ったけど、じゃあ、これからどうしたらいいと? 」と。その当時、49歳か50歳になったばかり、それぐらいだったんですけど、「これから死ぬまで、まだ20年か30年、80歳としてもまだ30年あるけど、じゃあ俺はそれまで何もしないでぶらぶらすると? 」という感じで、「それって、ずっと家に閉じこもっておかないかんと? 目が見えんけん、外に出るのもよく分からんし、何をしたらいいんだろう? 」というのが、最初に浮かんだんです。 ただ、私には全盲のおじがいました。もう亡くなりましたけど、熊本のほうではり・きゅうの医院を開設してまして、立派に開業して、熊本市のはり・きゅうの会長さんをやっていたような方でした。そのおじの姿を見てたから、そのおじが点字をタイプライターでバチバチ打ってたりとか、あるいは、指で触って何かを読んでるなという姿を見てたので、「視覚障害者になったからには、なったからにはと言うと変な話ですけど、せめて点字ぐらいは読めるようになっとったほうがいいのかな? 」ということが、まず頭によぎったので、障害者手帳をもらったその足で、春日市の市役所から歩いて10分ぐらいの所に『クローバープラザ』という県の施設があって、そこの3階に点字図書館があるので、「点字を読めるようになるには、まず、点字図書館に行くのが一番かな? 」と思って、「すいません、点字の読み方を教えてください」と、そこに行ったんです。言われたほうもびっくりしたでしょうけど、「どうされたんですか? 」って言うから、「先ほど、春日市役所のほうで、障害者認定を受けて障害者手帳をもらったので、点字ぐらい読めるようになれたらいいかなと思ったんで、ここに来ました。点字の読み方って、どこで教えてもらえるんですか? 」みたいなことを言ったら、ちょうど対応していただいたのが、当時の館長さん。いまは新しく代わられたんですけど、前の館長さんに対応していただきました。この方が、以前、盲学校の校長をされてた方なんだそうです。それで、若松のほうから毎日、電車でクローバープラザまで通われていたそうです。今はクローバープラザの館長さんを退かれて、北九州で『あいず』という障害者支援の施設でご活躍されているそうですけど、その方が対応されて、「どうされたんですか? 」と言うので、「すいません、点字が読めるようになりたいんですけど」と言うと、「ああ、点字やら、読めるようにならんでもいいよ? 」と、私を根本から否定するようなことを言ってくれたのです。 「じゃあ、何をしたらいいんですか? 」って聞いたら、「うん。天神に『あいあいセンター』という所があるから、そこに行かんね? そこに行ったら白杖を使った歩き方とか、いろんなことを教えてくれるから、まずは、そこに行ったほうがいいよ? 」ということを言ったのです。 「あいあいセンターって、さっき聞いたな? 」と思ったけど、何の所なのかという説明が全然なかったから、「なんか、そういう所があるんだ? 」ということを知ったのが、まず第一ですね。 その後に続けて館長さんが言ったのが、「それから、ここにはいろんなものがあるから、ここでいろんなものを見てったらいいよ? 」と言うので、その時に紹介してもらったのが、私は今でも使っていますけど時計、「ホルダー型時計」です。これは安く、1600円ぐらいであるんですけど、この真ん中の所をポンと押すと、こういうふうに音声で言う時計があると。こういうものがあるということすら、私はその当時、全然知らなかったから、それまで家の中でじーっと過ごしてきましたけど、大体がテレビをつけっぱなしにして、「ああ、この番組があっているから、何時ぐらいなんだな」とか、そういうことが分かる生活しかしてなかったんですけど、「こういうのがあれば、時間を知ることができるんだ」ということが分かって、「これだったら、他にも何かやれることがあるのかな? 」というのが、まず、動き始めようと思ったきっかけになってました。 その後に、たまたま、私が障害者手帳をもらったのが1月だったと思いますが、点字図書館の館長さんが、「来月、『福点まつり』という催し物がここであるから、来てみらんね? 」みたいなことを言われたから、じゃあぜひということで、翌月に行ってみたら、催し物と同時に福祉機器の展示会をやっていました。まず、その福祉機器の展示会があるということも知らなかったし、そういった福祉機器というものがあること自体を知らなかったので、「ええ? 何があると? 」という感じでした。 それで、そこのブースの方に話を聞いてたら、私は今、弱視ですけど、「こういうものがありますよ」というのが「拡大読書器」でした。福祉機器展は今はコロナの関係で規模が縮小されていますが、当時は結構広いスペースを借りてやれてたので、あの当時で拡大読書器が4種類ぐらい出てたと思います。片手に収まるような持ち歩けるサイズのものとか、私が入手したというか申し込んだ「タブレットのような形」、これも持ち歩けるし、場所も選びません。そして、これはちょっと大きいタイプの拡大読書器、それから、据え置き型の拡大読書器、そういったものが4つありました。 それで、どれにしようかとなった時に、私は本を読むのが好きだったので、据え置き型にしようかなと思ってたら、そこの業者の方から「いやいや、据え置き型はやめといたほうがいいですよ」って言われて。「据え置き型は場所も取るし、そこに『読みに行こう』と思って移動するのが面倒になると。最初は読もうと思ってちゃんと行くんだけど、そこの所に行くのがだんだん億劫になって、「目が疲れた」とかなんとか言って使わなくなるから、できるだけ小さいほうがいいですよ」と言われたのです。 それで今も使っているのが、このタイプです。タブレットサイズと言ったらいいのかな? これぐらいの。これは、実は私のお守りみたいなものです。「これがあるから私も出歩ける」と言ってもいい。これは今の仕事でも使ってます。これをスタンドに装着して紙を読んだり、あとは、出村さんとも2人でよく飲みに行ったりするんですけど、その飲食店に入ってメニューを読んだりする時にも、これが重宝してます。 こういったものがあるということを知れば、歩くための助けにもなるし、後でもお話をしますが、視覚障害者が歩くために、外に出るにはいろいろな抵抗があると思うんですよね。「出歩いた時に、どこに何があるのか分からない、または、何が書かれているのかが分からない」のです。そういった情報がないから、そういったものを取り除くための一つ、実際にも使えるし、心の支えにもなれるかなということを、その時に思いました。 他にも興味をひかれるようなものもいろいろあったりしたんですけど、「よむべえ」は、紙に書かれたものを音声で読んでもらう機械ですが、こういったものがあったので、「ああ、これも欲しいなあ」とも思ったんだけど、いかんせん値段が高いということもあるし、福祉機器で補助がいただけるのが、この拡大読書器と同じ枠だったということもあって、今回はこの拡大読書器をということで、現在でもこれを使っているような状況です。 そんなふうに、少しずつ情報を得ることによって、私も「なんか、できることがどんどん増えてるな。全く、何もできないと思っていたけど、できること、あるやん? 」という感じで、気持ちが少しずつ前向きになっていったんです。 その後に、じゃあ、市役所で言ってたその事業所の人、そして、何をする所なのかも私は全然分かってなかったんだけど、じゃあ、ちょっとそこのところ、呼んでから少しお話を聞こうか? 」ということになって事業所は同じ春日市ということで、『はるみガイド』さんという事業所の方に来ていただいて説明を受けました。そこで『はるみガイド』の方からいろいろお話を聞いて、「同行援護という制度がありますよ」と。それは一人ひとりによってその時間は決められてるけど、どこかに行きたいという時に、そこのガイドさんに「何月何日の何時から、どこどこに行きたいです」ということを言えば、そこから実際に移動したりできますよということもその場で初めて知りました。市役所では何も教えてくれなかったから。「あ、そうなんですか? 」ということで、それ、何かあった時には使いたいですということを言ってたら、そこの事業所の方が、視覚障害者のことについて、いろいろと詳しく教えてくれて、「今、筑紫地区のほうで『ふたば会』という視覚障害者の集まりが月に1回ありますよ。良かったら、そちらに参加しませんか? 」と聞いて、「そういうのがあるんだ? 」と。私もそれまでそういった情報を全然聞いてなかったので、そちらのほうにも参加させていただくようになりました。 また、「あいあいセンターのほうには行かれましたか? 」と聞かれたので、「いや、まだ。聞いただけなので」と言ったら、「じゃあ電話してみたらどうですか? そしたら向こうのほうで日にちを取ってからお話を聞いてもらえますよ」みたいなこともお話しいただいて。そこで、『ふたば会』の存在と、『あいあいセンター』存在も自分の中で知ることができたのです。 『ふたば会』に、月に1回ということで、大体第3土曜日にやっていると思うんですけど、そちらのほうに最初は見学という形で参加させてもらいました。そしたら、あそこの大野城市の社協のセンターの所で、20~30人ぐらいの方が集まってわいわい楽しくされてありました。 私は自分が視覚障害者になった時に、なんか、自分が独りぼっちになったような気持ちになってたんだけど、「ああ、皆さん視覚障害者でも、こんなふうに集まって参加ができるんだ、楽しんでいいんだ」と、ここでもまた気持ちが前向きに、勇気をもらったりということがありました。 それで、『あいあいセンター』のほうにも同じように連絡を取ってみたら、「じゃあ1回、相談に来ませんか? 」ということで、2月に『あいあいセンター』のほうに伺って、そこで後藤先生に対応していただいて、「ここがどんな所なのか? 」ということをいろいろ説明していただき、「他にも、こういう訓練を受ける場所がありますが、どうしますか? 」と。「今津のほうとかにもありますけど、ここで僕はこういうことをやってますよ」みたいなことを。だから、そこで初めて、「ああ、ここって、そういうふうにいろんなことを」と。通われた方もいらっしゃると思いますが、私が知りたかった「点字の読み方」であったり、白杖を使った歩行訓練、それから音声を使ったパソコンの操作の仕方、そういったものを勉強できる。「じゃあ、ここに来れば、何かいろいろとやれることがあるんだな? 」ということを教わったので、「じゃあ、ぜひともお世話になりたいです」という返事をしたのですが、皆さんもたぶんそうだとは思うんですけど、あそこは申し込んでもすぐには入れるというわけではなくて、少人数でやってる所なので。2月に見学に行って、今の順番待ちだったら6月ぐらいになりますね。それでもいいですか? 」と聞かれ、「分かりました」と。それで、6月までは『ふたば会』に月に1回通いながら過ごしていました。 そして、それまでに暇があるからどうしようかということで、先ほどお話をした『はるみガイド』のガイドさんから、「時間があるんだったら、クローバープラザの中にトレーニングルームやプールがあるから、そういった所に通うのもいいですよ? あそこは利用するのもタダだから」と。障害者だとそういったものも無料で使えると、これもその時初めて知ったのです。 もともと、動くのはあまり好きじゃないほうなんですけど、それでも家でじっとしているよりはいいかと思って、最初は週1回ぐらい通うつもりで行って。そこで最初に体力測定をしますみたいな感じになり、当時50歳だったんですが、「体力年齢が70歳です」と言われまして、「さすがに50歳で70歳の体力というのはまずいだろう」とびっくりしたので、それからは暇がある時には、こまめにそこのトレーニングルームとプールに通いました。プールのほうは泳ぐのがちょっとあれなので、プールを歩いたりして、そうやってせっせせっせと暇にまかせて通っていくうちに、体力年齢も70代から60代、60代から50代にと、なんとか若返って、今現在も通ってますけど、実年齢に近いような体力年齢にはなりました。そんなふうに時間を過ごしながら、6月からあいあいセンターのほうに通わせてもらうようになりました。今はコロナ後だから状況がまた違うのかもしれませんが、私たちが通っていたのはコロナがまだ拡大する前でしたから、大体が少人数、2~3人で1グループぐらいで歩行訓練をしたりとか、音声パソコンを使って訓練を受けたりとか、それから点字の読み書きの勉強をしたり、そういうのをやってました。 歩行訓練に関しては、最初にここのあいあいセンターの中で白杖の振り方、廊下を使ってあっちこっちに行ったりしながら歩いたりとか、あるいは屋内での杖の使い方、屋外での杖の使い方、その違いなんかを訓練を受けたりしながら、やっていました。 それに慣れてきたら、じゃあ外に出てみましょうということで、あいあいセンターの周辺をうろうろしたり、西鉄大牟田線の天神駅の周辺、あそこらへんまで点字ブロックを使って行けるようにしたり、そういうことを訓練していただきました。 それ以外にも集団での屋外訓練というものもあって、これは希望者が対象なんですけど、西鉄バスの営業所に行って「バスのつくり」、バスに真ん中から乗ったはいいけど、どこに優先席があるのか、空いてる席があるのか、または席の配置はどうなっているのか、これらが頭の中に入っていないと分からないところがあるんですよね。 例えば、降りる時に押すボタンがどこにあるとか、そういったものを実際に触らせていただいたり、または西鉄バスの運転手さんに「もっと、こういうところに気を付けてほしい」とか、「バスの運転の時、こういう時はどうなっているんですか? 」みたいなお話をさせていただく機会をいただいたりもしました。 あとは、西区のほうにある福岡市の『防災センター』に行って、震度6ぐらいで、屋内での地震の時にどういうふうにしたらいいかとか、暗闇の中で煙が発生した時に、逃げる時はどうしたらいいかとか、そういうのを実際にさせてもらったりもしました。 あとは、模擬ではありますが、消火器を使った訓練など、そういったものをさせていただいて、なかなか、ほかではさせていただけないような訓練なんかもさせていただきました。あとは個別に「ここでの歩き方を知りたい」ということを言えば、それにも対応していただきました。自宅の周辺であったりとか、博多駅の周辺、それから私は福岡市のほうの点字図書館のほうにもよく行ったりするので、「西新駅からどうやって行くのか、歩行訓練をお願いします」といったことにも対応していただきました。 あと、これはあいあいセンターの訓練が終わってからなんですけど、私が今仕事をしている所、就職している所に実習に行かなきゃならないという時に、福間で働いているんですが、「じゃあ、福間駅から職場までの歩行訓練をお願いします」と言ったら、それも引き受けていただいたり、あいあいセンターの職員の方には、かなり助けていただいてます。あいあいセンターでの訓練が今の私の活動の基礎になっていると言っても過言ではないですね。ここで得た情報、それからこの時に得た人間関係、「こんな施設がある、あんな施設がある」といって、そこでまた新たにいろんな人と知り合って、そこでまた情報を得たり、そこの中で私も、あいあいセンターでの訓練を通して、いろいろとできることが広がっていく。 これは前にもどこかで言ったことがあるんですけど、ちょうどロールプレイングゲームの主人公になったような感じだったんですね。ちょっと言い方が悪いのかもしれないけど。白杖を手に入れた、白杖の使い方を覚えた、移動力が5上がったとかですね。電車の乗り方を覚えた、あそこまで行けるようになったとかですね。そういうふうに、できることがどんどん増えると、人間ってやっぱりうれしいんですよね。それまで「何もできない」と思ってて、目が見えなくて何もできないと思ってたことが、何かの情報を知る、あるいは訓練を受けることによって、できることがどんどん広がっていく。それこそ、パソコンを使って、音声を聞き分けることによって、パソコンを操作できていろんな情報を手に入れることができた。 それから、私は本を読むことが好きで小説を読むことが好きだったんだけど、「目が見えなくなったから、もうできないかな」と思ったら、点字図書館に「デイジー図書」という図書があって、それを音声で聞くことができます。本を読むことができた。これは素晴らしい。 それから、デイジー図書になっていないものは点字図書館のほうで「対面朗読」というサービスがあります。これは自分が持ってる本、あるいは図書館にある本などを持って行って、「これを読んでください」と言ったら、そこのボランティアさん、点字図書館には「朗読ボランティア」という方がいらして、時間も含め、「ここと、ここでお願いします」ということをあらかじめ言っておいて、場所も指定して、そこに来てくださる方がいれば、2時間1コマで、その場所で本を読んでいただけるんです。私があいあいセンターに通ってた時は、ちょうどお隣の小研修室とか、あるいはそこの7階のエレベーターホールの前とか、いろんな所にボランティアさんに来ていただきました。 私が持っていた本というのは、私がSFが好きだったのですが、これがあまりデイジー図書になっていないんですね。だから、デイジー図書になっていない本を持って行って、「これ、読んでください」と言って読んでいただいて、読みたかった本というか聞きたかった本を知ることができたのです。本当にいろいろと知ることによって、できることが本当に増えてきました。それこそ、さっきお話ししたように、ロールプレイングゲームの主人公がレベルアップしていくみたいに、どんどん、どんどんできることが増えていく。その時は本当に楽しかったし、うれしかったですね。 あいあいセンターの訓練を受けた後、実はこのあいあいセンターって訓練期間が大体2年間なんですよね。じゃ、この2年間がそろそろ終わりが見えてきた1年半ぐらいの時に、「じゃあ、どうしようか」と。「そろそろ訓練が終わる。じゃあ、ここで訓練が終わった後、また何もやりません。また家に帰って何もないですよ」となってしまうわけです。 ただ、その当時、あいあいセンターに通いながらもう1つ、作業所には行ってたんですね。南区若久という所にある『ポエム』という所です。ここは視覚障害の方が代表をされている所で、そこに通っている方も視覚障害者の方。あいあいセンターの訓練が終わられた方なんかも結構来られてるんですけど、そこで内職のような軽作業をいろいろとやっていました。「ああ、でもここを卒業したら、またあそこで内職をやるのかな。でも、それだけじゃ、なんかそれだけであと20年、30年というのもちょっとどうなのかな? 」というのがあったわけです。 まだ当時、コロナ前だったんで、ハローワークなんかでも障害者向けの就職説明会なんかも結構やってたんですよね、マリンメッセとかで。そこの所にも何回か行って、いろいろ企業の説明とかを聞いてましたが、まあ、ちょっと正直、厳しいかなという印象は受けました。 一応、視覚障害者でも受け付けはしますよとは言ってくれてはいますが、あまり詳しいことは言ってないし、今の自分の能力ではちょっと厳しいのかなというところも正直思っていました。 ただ、そこに行った時に、北九州の若松のほうにある障害者の職業訓練校の先生が来られていたので、「私は今、あいあいセンターで訓練を受けているんですけど、そこが終わったら就職したいと思っていろいろと探しているんですけど、そちらではどんなことをやっているんですか? 」と聞いたら、「視覚障害者の方も来られてますよ」とおっしゃってたんで、じゃあ、そこに行ってみるのもありかなと思いました。 そして、そこには寮があると聞いていました。「折尾の先の若松だから、それはもう寮に入ってやったほうがいいのかな」と言ったら、その先生から「通ってください」と言われたのです。「え? 」って正直思いました。 ただ、その「通ってください」というのには意味があるんです。というのは、これは後でまた話すんですけど、視覚障害者というのは晴眼者の方から「何もできない」と思われているんです。だから、「あなたは仕事をしたいと言ってるけど、歩いて職場に来れるの? 」と。「歩いて無事にちゃんと来れるの? 」というのがあるから、「いやいや、大丈夫ですよ。この人はうちの職業訓練校にちゃんと2年間、毎日通いました」ということをちゃんと言えれば、それが推せると、就職先に対して、「この人は、ちゃんとこれだけ移動ができて、毎日通いましたよ」という実績を積めば、それだけ推せますよと。だから、その時に「過去の卒業生で羽犬塚から毎日通っている人がいました」って言われたので、「羽犬塚から通っていたのなら、俺も通わないかんかなあ? 」と。筑後から通っている人がいるんだったら、頑張って通わないかんかなあというのは、正直、その時は思いました。 だけど、「遠いのも事実だし、毎日そこに通う通学の時間というのもかなりかかるな、どうしたもんかな」というのは思ってたんですけど、実際に一度、その若松の職業訓練校に見学に行ったんです。行かれた方います? いないかな? 陸の孤島ですね、あそこは本当に。若松からバスで20分ぐらい乗って行かなくちゃいけないのかな? そこの施設自体は車いすの方とかも対応できるようにものすごく廊下が広かったりとか、エレベーターも車いすが何台も乗れるような広いエレベーターだったり、施設の設備としてはものすごく良いんです。 視覚障害者がパソコンの操作をしているところも見学させていただきましたし、音声ソフトもあいあいセンターで使っている『コーチシステム』のものだけじゃなくて、『ジョーズ』というお高いソフトまで入れていただいていて、それで文字起こしのようなことをやっていたので、「やっていることはすごいんだけどなあ、でも若松か」というところで迷っていたところもあったんです。 そしたら、私があいあいセンターの訓練が終わる半年前ぐらいに、南区の清水町という所に『michisirube(みちしるべ』という就労移行施設ができますよと話を聞いたので、じゃあそっちにもちょっと見学に行ってみようかということで、そこにも見学に行かせていただきました。最初はまだ開所前だったので話を聞くだけで、でも、「ここではパソコン中心の仕事を覚えてもらいます。それで、そこから技術を覚えてもらって、『NVDA』という音声ソフトを使ってパソコンの使い方を覚えてもらって、できる仕事を探してもらいます」みたいなことを言ってたので、どうしようかなと。若松に行くか、南区の『michisirube』のどっちにしようかなと迷っていましたが、結局、時間の有効活用ということと、それまで通っていた作業所とも縁は切りたくないなと思ってたから、『michisirube』のほうにお世話になりますということで、あいあいセンターの訓練が終わった時点で行きました。 そしたらその時には『michisirube』さんの定員がいっぱいになっていたのです。やはり私と同じように職業訓練を受けたいという人がいて、「何人か待ちになりますよ」と言われました。仕方がないということで、とりあえず申し込んでおけば、作業所に通いながら空くのを待つかというような感じでした。 本当は若松のほうに行こうかなという考えもちらっと頭によぎったのですが、あいあいセンターの右田先生から「とりあえず、申し込んでおくのがいいですよ、何かの拍子で入れるかもしれないから」みたいなことを言われたので、あまり期待しないで待っているような状態だったのです。 私のあいあいセンターの訓練が終わったのが3月、新しい年度になり、何もやることがないからそれまでと同じように作業所で軽作業をしながら、点字図書館に行ったりトレーニングをしたり、そんなことをやっていたら、いきなり『michisirube・チームハーネス』さんのほうから、「空きが出ました」という電話がかかってきたのです。 ちょうどその時というのが、コロナがはやり出した時で、申し込んでいた人がみんなやめちゃってたんです。そのため、待ちがすっ飛ばされてしまって、あんまり人の不幸を喜んでいいのかどうかは分かりませんけど、そのようなことで「じゃあ、お世話になります」ということで、その年の5月から『チームハーネス』さんのほうでお世話になり、就労移行の訓練を受けるようになりました。いったん、ここで切りましょうか? 私ばかり、べらべらと話してもあれなんで。今まで長々と話してきましたけど、何か聞きたいこととかありませんか? ガイドさんA:若松に紹介されたという話ですが、今津にもあるじゃないですか? それは紹介はされなかったんですか? 中村:いや、今津のほうもあったんですけど。ただ職業の選択として、「自分がやるんだったら、やっぱりパソコン関係かな」という意識があって。確かに、視覚障害者のマッサージ師とか、そういうのもあると思うんですけど、正直、「他人の身体に触って下手にやって、けがをさせたりしないかな? 」とか、また「一から新しいことを今から覚えるのは正直、きついかな」と。もう50歳になってましたからね。だから、新たにやるのは、正直、不安があったなというのはありました。一回行って見てもよかったけど、今津も若松に負けず劣らずの陸の孤島ということがありますから。 ガイドさんA:私の認識不足なんですけど、今津のほうは、そういう「はり・きゅう」などマッサージ系な感じなんですか? 浅く言うと。そして、若松のほうがパソコンとか、そんな感じなんですか? 中村:一応、通いもできるみたいなんですけどね? でも、向こうは寮を完備しているということで。 FK:支援学校も「はり・きゅう」とかの訓練ができるじゃないですか? あそこは高校だから、高校の授業料が無料だから、こちらも無料なんですよ。国立のほうは厚生労働省がやっているからお金が高いんですよ。 ガイドさんA:高いんですか? FK:うん。お金がかかるんです。 ガイドさんA:知らなかった。 FK:だから、僕もそろそろ特別支援学校に行って資格を取ろうかなと思ってて、3年間、寮に入って資格を取って、60歳ぐらいから開業したらなんとかなるかなと思ったり。 ガイドさんA:へえ。 FK:給食代しか、かからないらしいですよ。朝倉街道まで行って。 ガイドさんA:高校だけじゃないんだ? 中村:朝倉の盲学校は就職するためのコースもあります。 FK:理療科という所です。 ガイドさんA:KRさんのお子さんが行ってた所の隣よね? SG:マッサージだけというのと、「はり・きゅう・マッサージ」がセットになってるのと。 出村:すいません。今日はTNさんが用事があって途中で抜けられますので。 中村:どうも、ありがとうございました。お気をつけて。 出村:ありがとうございました。お気をつけて。 TN:ありがとうございます。 SG:途中まで行こうか? TN:大丈夫ですか? 全員:お疲れ様でした。 ガイドさんA:ごみって? 中村」後で集めて捨てますからそのままにしといてください。 ガイドさんA:はい。そのままにしておきます。 中村:そうですね。あと、就職に関してだったら、私がもともと学校の教員ということもあって、私のケアマネさんが「盲学校の教員とかになれるんじゃないですか? 」みたいなことで、盲学校の教員の方にお話をさせていただいたこともあるんだけど、あそこの盲学校というのは県の管轄になるので、県の職員として採用試験を受けて、その後、 SJ:中村さん、すいません。ちょっとストップしてもらっていいですか? 中村:はいはい。 SJ:私に聞きたいことがあると、今。 中村:ああ、どうぞ。 ガイドさんA:普通にお話しして? SJ:うん、どうぞ。 ガイドさんA:SJさんが3時ぐらいまででしょ? YM:●●(00:39:43)。 ガイドさんA:挨拶だけしたかったのね? ごめんごめん。 SJ:こないだ、チームハーネスの、3月か2月、 出村:ああ、2月、はい。 ガイドさんA:ご一緒だったんですね? SJ:うん。来られてありましたよね? お名前覚えてますよ? 私の子どもとあまり年が変わらないので、覚えてます。私みたいな年齢でも就職できるので、まだまだ若いから、いっぱい訓練を積んだら、きっと社会に出れると思うので。頑張らないように頑張ってください。 出村:こんなちゃらんぽらんな私でもできますから大丈夫です、全然。 SJ:もし、何か聞きたいこととかあったら、私はまだチームハーネスの松井さんとか代表の方とかは結構まめに連絡したりとかしてるので、伝言とかをしてくださってれば、松井さんとかにも伝えておきますので。 出村:うん。僕のほうからも大丈夫です。 SJ:うん。じゃあ出村さんとか、 出村:僕も本当に、仕事を全部、松井さんに投げますから。「ごめん、これ、どげんすると? エクセル、どげんすると? 」って言って。 ガイドさんA:チームハーネスさんも、こないだ見学といった感じで。『ノーリミット』さんの立ち上げの前ので? SJ:そうですよね? ガイドさんA:そうそう。来てたので。また何か、よろしくお願いします。 SJ:こちらこそよろしくお願いします。すいません、中村さん。 中村:いえいえ。 出村:いや、とんでもないです。 ガイドさんA:ありがとうございます。 出村:ああ、そうだ。SJさんとGYさんは、もしよかったら後で連絡先というかラインのほうとかお願いはできますか?いいです? 難しい? SG:ただいま戻りました。 ガイドさんA:おかえりなさい。 SG:戻りました。 出村:おかえりなさい。 SG:どうもどうも。 出村:ありがとうございます。 SG:いえいえ、大丈夫ですよ。 出村:後で銀行に振り込んでおくので、ガイド料。320円振り込んでおくので。 SG:320円? 送迎料? 出村:送迎料。申し訳ない。ありがとうです。 ガイドさんA:これ、コーヒーです。 SG:コーヒー? FKさん、ありがとうございます。 FK:いえいえ。 中村:えっと。 出村:いきますか? じゃあ続けましょうか? 中村:盲学校のほうには私も見学に行ったことがあって。私のケアマネさんが、私がもともと教員をやってたということを聞いて、「盲学校の教員とかいいんじゃないですか? 」みたいなことを言われたんで、盲学校の先生とちょっとお話をさせていただく機会があったんです。 結論から言うと、別に盲学校の枠として採用しているわけじゃなく、県の高校の教員として採用した中から「あなたは、ここに行きなさい」という感じで言われるから、「視覚障害者だから、必ず盲学校の教員になれるというわけじゃないんです」みたいな感じで言われたので、それはしょうがないですねということだったんですね。でも私も盲学校の中にその時初めて入ったから、なかなか興味深かったです。 はい、じゃあここから気を取り直しまして、『チームハーネス』に行ったところから、またお話をしていきたいと思います。時間、大丈夫かな? 出村:今2時半。 中村:うわ。じゃ、ちょっと巻いていこう。『チームハーネス』のほうで訓練を受けるようになって、基本はNVDAの使い方ですね。パソコンの音声ソフトとしてNVDAというものがあるんですけど、これの一番いいのは無料であるということです。フリーソフトですので、就職した時にも会社に負担がかからないということです。これ、実は私の就職の時にも一番のセールスポイントになったんです。結局、音声ソフトっていろいろあるんですけど、やっぱりなかなかお高かったりするんですよね。 そして、それを入れるためには会社のほうでそれをいちいちチェックして、会社のプログラムとソフトが衝突を起こさないか、それをチェックしないと、会社というのは、なかなか入れてくれないんですよね。理解があるなら入れてくれる所もあるかもしれないんですが、正直、これが就職する時のネックにもなっているのです。そのため、このNVDAの使い方を覚えるということが、『チームハーネス』での主な目的でした。 それと並行して、私も学校の教員をやっていたものですから、ビジネスマナーって正直、よく分からなかったんです。「何のために仕事をするのか? 」とか、「会社が何のためにあるのか? 」とか、そういったことが分からなかったから、そういったものを「e-ラーニング」という教材でビジネスマナーみたいなものも学ばせていただいたんですね。そこで、「NVDAを使って、ちゃんとパソコンができますよ」ということを証明しないといけませんでした。つまり、いくら『チームハーネス』さんが「この人はできますよ」と言ったところで企業さんから信用してもらえないので、「ちゃんとした資格を取ろう」ということになってたわけです。 そこで「日商PC検定」という公的に認められた、公的でいいんだよね? 出村さん? 出村:うん。 中村:公的に認められたパソコン検定を受けました。そこでエクセルとワード、ちゃんと操作ができますよと。試験問題があって、ある程度の点数を取れたら合格というものが出ますので、それをNVDAという音声ソフトを使って受験して。私は1回落ちましたけど、2回目でなんとか無事に通りましたので、それで資格の取得ができました。 出村:ちょっと補足いい? 中村:うん。 出村:PCトーカー。 中村:あ、PCトーカーも使ったよね? 出村:うん。あれ、逆に言うとPCトーカーじゃないと、情報の登録と知識問題とかが。 中村:ああ、そっかそっか。そうでした、ごめんなさい。 出村:いえいえ。両方使います。 中村:日商PC検定はPCトーカー使わないと駄目でしたね? はい。それで、一応資格を取って、これで一応操作もできるから、まあなんとか道は開けるのかなと思ったんですが、甘かったですね。まず、その仕事は何があるのかということで、どこから探したらいいのかというと、『チームハーネス』さんが初めての所だったからよく分からなかったというところもあるんだけど、なかなか仕事がないのです。 障害者の仕事自体はあるんですよ。でも、「視覚障害者」というのは、そこから「アウト・オブ・眼中」みたいなところがあって、対象にされてないんですね。 障害者向けの就職説明会というものにも何回か参加させてもらいました。『サーナ』という所が障害者向けの企業説明会・面談会みたいなことをやってたので、2回ぐらいかな? そこに行って。福岡の某銀行とか、九州の某電力会社とか、水を積むとかの某住宅会社とか、大手の所が結構来てたんですよ。一応、履歴書は受け取ってはいただけるんですよ。お話しとかも聞いていただけるんですけど、履歴書が後から返ってくるというのが常でしたね。 あとは、ハローワークさんが紹介している所というので、そこに履歴書と職務経歴書とを「面接、お願いします」みたいな感じで送るんですけど、やっぱり返ってくることのほうが多いですね。就職面談の時によく言われたのが「あなた、視覚障害者ですけど、何ができるんですか? 」と。「いやいや、音声ソフトを使えば、ちゃんとパソコン入力ができますよ」と。すると、「いや、パソコンに音声ソフトを入れるのは困ります」と。さっき言ったように、「会社のシステムに障害が出ると困りますから」と。「いやいや、Windowsの中に『ナレーター』という機能がありますから、それを使わせてもらっても大丈夫です」と言うけど、「いや、障害のある人を一人だけ会社に残すとか、そういうことはできないから」と。結局、何かしらの理由をつけられるんです。 例えば、フレックスタイム。通勤時間で、「混んでる電車に乗ったりするのが不安だから、フレックスタイムとか可能ですか? 」と聞いても、「いや、あなた一人だけ職場に残しておくわけにはいかないから」みたいなことを言われたりもするし、もっと言われたのが、「例えば転勤になった時に、あなた行けるんですか? 」って言われたりとかですね。やっぱり、会社としては使い勝手が悪いわけです。だから、受けては落ちる、受けては落ちるを結構繰り返しましたね。 就職試験にこぎつけた所もいくつかありました。一つが福岡市。福岡市が障害のある方を対象に募集しているものがあったので、そちらのほうに受けさせに行かせてもらったんですけど、「紙に書かれているデータをパソコンに入力する」というものだったんですけど、その紙が大きすぎてですね。一応、対策として先ほど言ったこの拡大読書器を試験会場に持ち込むのもパソコンを音声で操作するというのもOKということだったので、これを使っていこうと思っていたらその紙の大きさがA3ぐらいの大きさであまりに大きく、私が持っていった拡大読書器のスタンドに入りきらなかったんです。結局、どこに何が書いてあるかを把握するだけで精一杯で、入力が間に合わず、その結果、落ちました。 向こうの言い分としては、弱視なので見やすいようにと大きな紙に大きな文字でしてやろうという配慮だったんでしょうが、実際にそれが良いと言われる人もいました。ただ、みんな同じ規格でやっているわけだから、「いや、これならA4サイズで印刷してもらっていたら、拡大はこっちでするからいいよ」と言いたかったのですが、そのようなわけで、福岡市のほうはアウトでした。 あともう一つは博多区にある障害者の特例子会社です。今の企業では何%か障害者を採用しなくてはいけないという決まりになっていますよね? そのような障害者を集めた子会社の求人が出ていたので、そこを受けさせてもらったんですけど、そこでもなかなか読みにくい紙を出してもらいまして、やっぱりこちらも同じように、読むだけで精一杯という状態でした。 さらに、そこでは気になったことが別にありました。ここは視覚障害者以外の方も、つまり精神の方などの方も結構いらっしゃってましたが、結構平気で人を怒鳴りつけていたんです。 FK:あそこはね? 障害者に配慮がないんですよ。 中村:あ、分かりますか? FK:僕も1年半ぐらいいました。 中村:ああ、そうですか? いや、対応していただいた方は良かったんですよ。この方は丁寧に対応していただいたんですけど、試験が隣の物置のような所でやってて、その隣で勤務している人を怒鳴りつけているんですよ。 FK:だから、あそこは嫌ですね。 中村:そうですか。 出村:へええ。 中村:まあ、そんなことがあって、結果的にですが、そこは落ちてよかったのかなと思いました。そして、何度目かの時に、あれ、何だったっけ? 出村:ん? 中村:面接。面接じゃないや、説明会。 出村:説明会?天神ビルか何かの? 中村:そうそう、天神ビルの。 出村:あれは『キャリアトラスト』? 中村:『キャリアトラスト』かね? 出村:うん。 中村:『キャリアトラスト』の障害者向けの就職説明会があった時に、私が現在勤めている『株式会社ジェイウェイブ』。そこは結構、障害者雇用をしている所なので、そこでお話をさせていただいたら、NVDAも入れていい、音声パソコンも使っても大丈夫です、自分で来れるのなら大丈夫ですよみたいなことを言っていただいたので、「じゃあ、とりあえず実習に来てください」みたいな感じで言われたので、2週間、そこに実習に通わせていただいて。やっぱり、「ここを落ちたら、また次、どこがあるか分からん」というので必死でしたよ。『チームハーネス』さんの訓練期間も、あと半年ぐらいは余裕はありましたが、やはりそろそろ決めておかないとまずいなというところにきてたので、職場までの行き方の歩行訓練とか、そこの職員の方の言うことを聞いてパソコンでの修正業務など、そういったことで2週間の実習を受けさせていただきました。そしたら、なんとか、向こうの方から合格をいただいたので、一応、採用が決まりました。 正直、その時は「採用してもらえるか、もらえないか」ということだけで頭がいっぱいだったので、勤務条件についても「頑張ります。フルで働きます!」と言ったら、「9時から18時まで、これでいいですか? 」と言われたので、はいと答えたわけです。 ただ、後から聞いたのですが、他の皆さんはパート、私もパートにはなるのですが、みんなは15時までとか16時までとか、大半の方がそのようにされていたのですね。私はその時、「しまった!もうちょっと慣れてから、フルタイムでやると言えばよかったかな? 」と思いました。 ただ、実際に今も働いてますが、私はやっぱりどうしても作業が遅いんですよね。この拡大読書器で書類を見ながら、音声で確認をしながらやったりしているので、他の人よりは作業が遅いもんだから、どうしても時間がかかっちゃうんですよね。だから、そこのところをクリアするためにも、やっぱりフルタイムで頑張らないといかんな、できない分はしっかり頑張らないといかんなと思って、今も一所懸命、頑張ってます。今もなんとかクビにならない程度にはさせていただいて、「できれば、長く働いてください」と声をかけてもいただいているので、今55歳ですのであと5年ですね。あと5年働かせてもらえればいいかなと思ってますので、できる限り、この目の視力が落ちたりとかがなければ、できる限り続けさせていただこうかなとは思ってます。こんなところかな? あと、就職にあたって、私は今まで1年半働いてきましたけど、「こういうことをしておくといいかな」と思うポイントが3つぐらいあったので、もし参考になれば。 まず1つ目が、「安全に通えるようになる」ということです。これは当然ですけど、会社で仕事をするということは、そこの会社にどうしても行かないといけない。在宅勤務という形も今は増えてきていますが、やはり「会社に行く」というのが基本でしょうから、まずはそこまで安全に行けるということ。 ただ、安全に行けるだけではなく、もうちょっと気をつけておいたほうがいいことって、いくつかあると思うんです。 1つ目が、「会社の周辺に何があるのかを分かっておくこと」です。私が最初に会社に行った時に、「昼飯をどうしようか? 」となったんですよね。食堂とかもなかったから。最初に歩行訓練を受けた時に、後藤先生と一緒に近くを歩いて、食事をできそうな所が、駅にある『東筑軒』のおそば、もうちょっと先にある『ゆめマート』で弁当を買うかの2択しかなかったんです。「この2択でずっとやっていくのは、ちょっと厳しいかな」というのは正直思ってたので、後で時間を見つけてあちこち歩いてみて、飯が食えそうな所、看板を見つけては「すいません、ここは何のお店ですか? 」と飛び込んで、「ここは弁当屋ですよ」とか、「ここは○○ですよ」と教えてもらったりして。そんな感じで1年半歩き回って、今では周囲に何があるかは大体把握していて、12か所ぐらいは食事を調達できるようになりました。やっぱり、選択肢が多いほうがいいんですね。店によって定休日があったりとかもするし、急に閉店したりする所もある。「閉店したなら、じゃあ次はどこに行ける? 」という選択肢があれば、次の対応ができる。もちろん、これは食事に限ったことではないんですがね。会社の周りにどういう所があるというのは把握しておくに越したことはないわけです。 2つ目は、「トイレポイントを把握しておく」ということです。これは女性もいる所で話すのもあれなんですが、私は通勤の時に2回ほど失敗したことがあるんです。移動距離が長距離なので、トイレ関係で失敗したことがあります。やっぱり、「自分が通過する経路において、トイレがどことどこにあるのか? 」というのを理解しておいたら、後始末などもしっかりできるようになります。 やっぱり視覚障害者があまり出歩きたくないと思う理由の1つが、この「トイレがどこにあるのかが分からない」というものなのです。心配なのは場所だけではなく、構造、「どこがどうなっているか? 」、「レバーやボタンがどのようになっているのか? 」、これも頭に入れて分かっておいたほうが安心かなと思っています。 3つ目が、「複数の通勤経路を確保しておく」ということで、これは肝心かなと思っています。私が通っている福間までというのは基本的にはJR一本で帰れます。ただ、JRというのは、よく人身事故が起きるんです。年末などは2日にいっぺんぐらいで起きてました。そうなれば、列車は送れたり、下手をすれば運休になったりもするわけです。そうなった時にどうするのか? 私が一度遭遇したのが、帰っている途中に千早駅と箱崎駅の途中で人身事故が起きて、これから現場検証で1時間ぐらい動かないということがありました。列車の中で1時間待ってもいいかとは思ったんだけど、一応、私の兄にこういう状況でと伝えたら、「千早駅だったら、同じ駅舎の中に西鉄貝塚線が通ってるから、それに乗って貝塚まで出て、地下鉄に乗り換えて博多駅まで出て、そこから帰ってくればいいよ」と言われたんです。結局、そういうルートもあるよということですね。 また、JRが運休になった場合は、JR鹿児島本線と並行して西鉄バスも走ってるんですよね。天神から赤間駅までというバスが出てるので、最悪、それに乗って帰ることができるわけです。要するに、選択肢をいくつも持っていることが大事だと思うんです。最悪、帰れなくなった場合も、「帰れなくなった場合は、どうするのか? 」、「どこで時間をつぶすのか? 」。例えば、喫茶店があるとか、どこか腰掛ける場所があるとか、そういったことを把握しておくことも、私は重要だと思うんです。 これも、私の通勤の時の実際の話ですけど、大雨の影響で列車が1時間ぐらい遅れますということが、朝行く時にあったんです。うちの会社は厳しいから、「休みにしていいです」と言わないで、「駅で待機してください」と言うのです。 だから、しょうがないから、南福岡駅には『ミスタードーナツ』があるのですが、そこに入って時間を適当につぶして、列車の運行が再開されたら、「今から行きます」となるわけです。 このように、自分の安全を確保するために、「どこに何がある」というのを確保する、そこまで含めて安全に通勤できるように確保しておいたほうがいいんじゃないかと思いますね。 2つ目。仕事も通勤もですが、途中で困ることっていくつもあります。少しは見えているとはいえ、私も方向感覚が分からなくなったりすることがあります。そういった時に、「ちゃんと、周りの人に助けを求めることができるか? 」ということです。「自分は今、何で困ってます」と。「だから、こういうふうにしてもらえませんか? 」ということを伝えられるようになることが大事だと思います。 例えば、駅の人に、私もよく博多駅で寄り道して食事して帰ったりとかするんですけど、列車のホームが博多駅にはいくつもあるから、次にどの乗り場から乗っていいのかが分からないんですよね。だから、駅の人に「私は南福岡駅まで行きたいんですけど、次の下りの列車は何番ホームから出ますか? 」と聞いたら、駅員の方が必ず教えてくれます。結局、何も言わないと、やっぱりどうしていいか分からないんです。 あと、西鉄バスを利用する時にも、基本的に西鉄バスというのは乗降の時にアナウンスをしてくれるんですけど、マンションの前とか住宅地の前とかだったら、住民からの要望で「アナウンス禁止になっているバス停」って結構あるんですよ。そのため、そのような時には「これは、どこ行きのバスですか? 」と言えば、大体、運転手さんが教えてくれます。声が聞こえていないのか、中には教えてくれない運転手さんもいるけど、白杖でバスをガンガンたたいていると、ちゃんと教えてくれます。そのため、「自分が何で困っているのか」ということを伝えることが大事だと思います。 あと、道を歩いている時でも、何か物を落としたりして探したりする時も、「自分は目が見えないんですけど、ここに何か落としてませんか? 」というふうに、「今、自分がどんな状況で、どんなことを助けてほしいのか」ということを言えば、大体の人、親切な人が助けてくれます。まあ、中には1割に満たないぐらいの確率で変な人もいますけど、「自分がしてほしいことを伝えれば、大体の人が手助けしてくれます。 私もいろいろな人と関わってきましたが、中には、「自分は目が見えなくて何もできないんだから、周りの人のほうが自分に合わせて、してくれるのが当然だ」と思ってる視覚障害者の方も結構いらっしゃるようです。でも、やっぱり、「自分が何に困ってるから、どうしてほしい」ということを相手に伝えないと分からないんですよね。そこでうまくコミュニケーションを取れることが大事じゃないかなと思ってます。 3つ目は、そういうふうに助けてもらった時に、ちゃんと「ありがとうございました」と言えることだと思います。基本的に人と人のやり取りですから、お互いが気持ちよくやり取りをしたいですよね? そのため、こちらの感謝の気持ちというのは、ちゃんと伝えたほうがいいんじゃないかなと思ってます。すいません。長々となりましたが、私の体験発表はここまでにしたいと思います。ご清聴、ありがとうございました。何かご質問、あるいはご意見等ありましたらお伺いいたしますが、何かございませんでしょうか? 何もなければお一人ずつ、フリートークという形で私の話の感想でもいいし、「もっと、こんなことをしたい」とか、「次は、こんなことをやって」でもいいですけど、そっちのほうに移っていきたいと思いますけど、そちらのほうに移ってもよろしいでしょうか? いいかな? 出村:はい。 中村:はい。それでは、さっきはこちらの男性陣のほうから回しましたので、今度は女性陣のほうから回していきたいと思いますので、よろしくお願いします。 KR:いろいろと知らないことも多かったので、聞けてよかったです。ありがとうございます。 中村:いえいえ。 YM:今日はありがとうございました。行動意欲だったり、原動力があってすごいなあと思いました。 出村:声がでかかった? 違うか? 中村:YMくんもまだ先が長いから、今やれることを積み重ねていけば、できることはどんどん増えていくと思う。ね? その先に、たぶん「仕事」があるんだと思う。だから、今やれることを少しずつ積み重ねていく。それは何でもいいと思う。YMくんがコミュニケーションが苦手だったら、人とコミュニケーションをうまく取れるように、またそれもいろんな形で、今も、たぶんやってるんだろうと思うけど、そういったことを少しずつ積み重ねて。例えば、列車に乗る時に駅員さんにちゃんと話しかけられるようになるとか、そういったことができるようになれば、「仕事ってできる」と思うようになるから、できることを頑張ってほしいと思っています。 出村:あと、YMさんと僕が会うのはこれが3回目やんね? 1回目は『チームハーネス』で会って、2回目は筑紫野で会って、そして3回目は今日のここなんやけど、やっぱり一番最初の『チームハーネス』の時に会った時より、YMくんの口数というのがものすごい増えてる。言葉もしゃべれる内容も。1回目の時は本当に自己紹介だけだった。挨拶だけでね? 「YMと言います。よろしくお願いします」って。もちろん、これだけではなかったけど、でも、それより、2か月が経った今、YMくんが今までのいろんな集まりに顔を出して、ちゃんと足を運んでね? ネットだけじゃなくて、実際に足を運んで、みんなの顔を見て、みんなのほうを向いて。ね? 「文章」じゃなくて、自分の頭で考えて「言葉」にして、今こうやって、みんなの前でしゃべれている。これは別に、コミュニケーションが苦手とかそういうこともあるだろうけど、1回目の時に比べて格段にレベルアップしてるけん、これからも。人それぞれでできること、1回1回でできる量の大小はあるけど、今のYMくんのペースでいいから続けていってほしいなと思う。1年・2年と経ってパッと振り返った時に「ああ。1年間でこれだけやったんだ? 」って、後になって分かることだから、続けていってほしいなあと思います、無理せずに。「毎回、参加して」とかじゃないけんね? 参加できる時にはこうやって顔を出して、声を聞かせてほしいなと思います。以上、出村の感想でございます。 YM:●●。 出村:大丈夫?何かしたいことでもいいけんね? また次に聞くけんね? ガイドさんA:GYさん、どうぞ? GY:こちらにいらっしゃる皆さんはそれぞれでいろんな苦しいこととかを乗り越えて、今こちらにいらっしゃると思うので、中村さんも荒れてた数年間があったということで、それをも乗り越えて就職されているのがすごいなあと、素直に思いました。私は12月からあいあいセンターに行きだしてから、いろんなご縁をいただいて、いろんな方に巡り合っていくことができて、今すごい情報をいただいてますね。それがすごくありがたくて幸せなんですね。だから、視覚障害者になる前の自分よりも、今の自分のほうがいろんなことを学べて、なんか「人としての厚み」ができてきているような感じがするので。もちろん、健康なほうがいいんですけれども、「こういう人生もあるんだな」と思って、今は気楽に考えれて幸せだなと思っています。いろいろとお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。 出村:ありがとうございます。 SJ:中村さんのお話を聞くのは今回が2回目でして、いろんな経験をされてきたんだなあと私も思いましたね。病気になったこととか、今見えないこととかをいろいろ悔やんでも仕方がないですし、せっかく与えられた命なので、やりたいことは何でもチャレンジして、やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいいなと私は思って、それを子供たちにも伝えながら子育てをして育て上げてきました。今はいろんな情報もありますし、機器とかも発達してきているので、そういうのをたくさん取り入れながら、自分に合ったものをチョイスして生活や仕事をしたりしていけばいいんじゃないのかなと思います。でも、頑張りすぎないように、日々、適度に力を抜いて、生きていくのが一番いいんじゃないのかなと思います。頑張りすぎて、かえって心が折れることも、結構あると思いますし、「視覚障害者=全盲」と思われていることってやっぱり多くて、 出村:そうですね。 SJ:はい。だから、「見えているけど、実は見えてない」っていうのを伝えるのが難しいなと、病気になってから思いました。だけど、伝えないと分かってもらえないし、だからと言って、脳が頑張りすぎると心が折れることもあるので、適度に手を抜いて、人の力を借りながら、上手に世の中を生きていく術を若い人には身に着けてほしいなと私は思います。 中村:そうですね。だから、「自分がどこまでできて、どこからができません」ということを、ちゃんと相手に伝えることって大事だと思うんですよね。 SJ:はい。人生の家訓じゃないですけど、「人生、死ぬこと以外はかすり傷」だと、常々言われてきたので、命ある限り、やりたいことをやっていただければなと。まだ25歳なのでチャンスはたくさんあると思うので、頑張ってください。 出村:みんなに今、YMくん、応援されてる。いいなあ? SJ:以上です。 出村:ありがとうございました。素晴らしい。 FK:中村さんと同い年なんで、なんか自分のことのように。僕も結構いろんなことをやりたいほうなので、頑張って生きていきたいなと思います。僕は大学の先生によく言われていたのが、亡くなった人ですが、「決して過去を振り返らない、失敗を恐れずに前に進め」というのは、いつも言われてたので、それは目が見えなくなっても絶対にそうだなと思って。それで僕は一人で海外に行ったりしてるんです。片目は見えないし、もう片目も0.04しかないので、夜に空港に行くと怖いですよね。めちゃくちゃ怖い。 中村:まあ、そうでしょうね。 FK:でも、特にベトナムはそうだと思うんですけど、ものすごい親切ですね。日本人が足元にも及ばないぐらいに親切なので、白杖を持たずに1週間ぐらい遊んでました。 中村:白杖、持ってなかったんですか? FK:持っていきはしてましたけど、使わなかった。バイクの後ろに乗せてもらって、走り回って遊んでました。だから、見えなくても、いろんなことをやりたいなと思うんで、絶対に僕は過去を振り返らないと思ってます。 出村:さすがやね。白杖を持たずにベトナム行ってると説得力が違うね。すごいね。恐ろしいよ。 FK:翻訳ソフトで。ちゃんと翻訳してないけど。 出村:そうね。そういうのも実際にやってみらんと分からんですもんね? FK:「違うよ」と言われるんです。 出村:違うよって。 FK:「違う所に連れて行ってくれるよ」とか言われた。 SG:そうなんだ? FK:単語はね? 単語はちゃんと訳せるけど、文章にしたらめちゃくちゃだから。 出村:なるほどなあ。 FK:ここでも、いろんなことをして遊びたい。国際交流もやりましょう。 出村:いやあ、いいですねえ。 SG:国際交流ね。 出村:一人ね、ミャンマーの視覚障害の女の子が知り合いにいるんですけど、今度誘ってみようかなあというのがあるんですよ。やってみたいなと。 SG:ミャンマー? 出村:ミャンマーですね。僕が前に行っていた作業所、それこそ視覚障害者が文字起こしをする作業所があるんですけど、そこにいらっしゃったんですね。いらっしゃったというか、僕の後に来たんですけど。ミャンマーの方で、40いくつ、僕と同い年ぐらいの方ですけど、日本に来てもう十何年かになってて、結婚もされてたんですけど。日本語もペラペラでしたね。そして、そこにいる日本人の視覚障害者の誰よりもホークスに詳しいんですよ。めっちゃプロ野球に詳しいんです。「明日の中継ぎは誰誰やんね」って言うから「ええ? 」って感じで。 SG:女性で? 出村:女性です。 FK:いいねえ。国際交流しましょう。 出村:ガイドAさんは一度会ったことがあると思いますけど。 FK:ベトナムは歩道を歩けないしね、でこぼこだしね。点字ブロックもないから。 出村:だから、点字ブロックを敷いてきてって言ったのに。 FK:引っかかるから。 出村:バイクでひかれるしね? FK:こうやってやってたら、バイクにぶつかる。絶対に壊れると思う、白杖が。 SG:向こうの人は、そもそも、白杖を持ってないんですか? 白杖、分かるんですかね? 向こうの人に。 FK:分かんない。だって、 出村:点字ブロックもないしね? FK:目が見えない人が歩いてないもん。 SG:歩いてない?どういうこと? 閉じ込められてるの? 出村:最初っからやん。 FK:絶対に閉じ込められてるよ。 SG:いやあ、怖いな、それは。 中村:「視覚障害者が白杖を使って歩いてる」っていう認識が向こうの社会にないんだったら、それは危ないですよね。 SG:危ないね。 FK:僕が行けばいいだけですよ。 出村:そういうことですね。 FK:「ああ、目が悪くても外を歩けるんだな」って。 出村:そうですね。そういうのも広めていかないといけないからね。 FK:そうそう。だから、「旅する白杖」を今年のキャッチフレーズに。 出村:キャッチフレーズね?じゃあ次、マダガスカルでしょ? FK:行かないって、そんな所。 出村:調べたんですよ? せっかく。分かりました。ありがとうございます。すごい。じゃあ、いきましょう? SG:はい。 中村:すいません。ガイドさん、ちょっとお話をやめていただけませんか? 聞き取りにくいので。 ガイドさんB:すいません。 SG:僕も実は今、あいあいセンターのほうに訓練に来てまして。まもなく卒業というところなんですけれども。訓練の中で一番重要、重要というか気を付けなきゃいけないなというのが、やっぱり歩行訓練なんですね。先ほどもちらっとお話がありましたが、僕の病気は網膜色素変性症という病気で、徐々に視力が落ちていっている状態なんですね。1年半ほど前に、ここに来させていただいた時よりも落ちてるんですね、確実に。1年半ほど前に歩行訓練を受けた時には楽勝でできたことが、卒業前になって逆にできなくなってきているような逆転現象が起こっちゃってるんですね。本当だったら卒業の頃にはマスターして、どこでも、ちゃんと行ける、歩けるようになっているっていうのが目標だったんですけど。 そういうことで、歩行についての質問なんですけど、今、会社のほうに何パターンかのルートを持って歩行で通勤されてると。 中村:はいはい。 SG:よく、視覚障害者の接触事故とか転落事故とかを聞くんですけど、なんかそういう怖い経験とか、「危ないな」と思ったこと、通勤の途中とか、そういったことはありましたでしょうか? 中村:そうですね。転落に関しては、そんなにはない。いろいろと私も話は聞きます。だけど、基本的にはホームの所には点字ブロック、「ここから先は危ないですよ」という点字ブロックがあるから、私はホームを歩く時にはそこを歩くようにしています。「点字ブロックの上を歩いていたら、落ちはしない」というところがあるから。ただ、列車が来る、通貨列車がある時にはその反対側のホームを歩くとか、そういう工夫はしてますね。 実際にホームの点字ブロックを歩いてみたら分かると思うんですけど、列車が着くほうは丸いぶつぶつがあるし、ホームの内側のほうは棒状、そういうふうになっている。それは足の裏で踏んで見たら分かるので、「今はどっちのほうを歩いている」というのは、そこで把握はできますね。 私が怖い思いをした、怖いというか面倒くさいなと思うのが踏切ですね。南福岡駅は5番ホームまであるので、ちょうど私が朝に通勤する時はその踏切を渡って駅まで行かないといけないんだけど、あと帰る時もですね。たまに渡っている途中で鳴る時があるんですよね。 SG:ああ。 中村:じゃあ、その時にどうするか? 基本的には私は進むようにしています。基本的に進んで遮断機、バーですね? バーにぶち当たったらそのバーに沿って、バーとバーの境目、そこから出るようにしてます。そうしないと、親切なんだろうけど、たまに遮断機の裏側に連れて行こうとする人や、バーを持ち上げようとする人がいるんですけど、あれは結構危ないんですよね。バーは持ち上がらないし。バーを持ち上げるよりはバーに沿っていって、バーとバーの境目の所からバーを押すほうがいいんですね。車の運転の時でも、「閉じ込められた時にはバーを突っ切って行ってください」と自動車学校でも言うから、あのバーの部分、竹の部分というか、あれは外れたりするんですよ。だから、それで行くようにはしていますね。 FK:全部の駅にあるんですか? ホームの点字ブロック? 中村:駅によってですけどね。 FK:どこでもじゃないんですか? 中村:どこでもではない。 FK:だから、逆にそこの上を歩くと、「それは線路に落ちるやろうな? 」と思うよ。 出村:本当にそうなんですよ。だから、実際は内側と外側を分ける境界線なんで、本当はあれの上を歩くと実際にその通りに歩けるのなら、あれ、別に要らないじゃないですか? それない自信があるのなら。でもそれがそれるから、歩いているうちに分からなくなってそれるから落ちるんじゃないですか? だから、その点字ブロックの上を歩かずにこの点字ブロックの内側を歩いて点字ブロックを杖で触ってりゃ、絶対に外に行かないじゃないですか? でも、これをみんな、あれを普通の点字ブロックと同じという認識があるんですよね。だから、みんなあの点字ブロックの上を歩く。慣れている人はいい。例えば、足先の感覚がちゃんとしている人はいい。分かるしね? でも、例えば、僕もそうですけど、僕は糖尿病なんで足先の感覚があまりないんですよ。シャワーのお湯をあてていても全然分かんないとか。だから、僕なんかそれこそ点字ブロックの上を踏んでてもほとんど分かんないんですよ。「どこ? 」ってなるんですよ。 だから、足先よりもさっきの電車だったらその点字ブロックの内側。まず、こっちが外側だ、こっちが内側だっていう認識がいりますよね? そして、その内側だっていう点字ブロックの内側を必ず歩いて、その外に向けて杖をあてる。そしたら、この杖が点字ブロックの外に越えない限り、絶対に落ちないじゃないですか?でも、みんながそうやって点字ブロックの上を歩いたらというか、周りの人が「こっちだよ、こっちだよ」って点字ブロックの上に連れて行ってくれたりするじゃないですか? FK:ああ、そうそう。 出村:「こっちこっち。この点字ブロックの上をまっすぐ歩いていったら大丈夫だから」っていっても、それだったら結局それる確率のほうが高いんだから、まずこっちが内側、こっちが外側という認識を一人ひとりが、みんなが持つことと、やっぱり自分が通勤する駅だから、この駅のつくりがどうなっているかというのは、きっちり頭に叩き込んでおかないといけないし、それが訓練を受けて月日が経ってちょっとおぼろげになってきた、危いなとか、最近忘れやすいなと思ったら、時間はかかるかもしれないけど、訓練を受けるとか、あとは駅員さんに頼んだらどうですか? 「落ちるんだったら」って思うんですよね。 中村:駅員さんに頼むのが一番確実だと思う。JRも西鉄も、どっちもセーフティーネットが、ちゃんと働いているので、「どこで降ります」ということを言ったら、列車の扉の所まで連れて行って、行き先の駅に着いたらその駅の駅員さんが扉の所まで迎えにきてくれていて改札口まで誘導してくれるので、それをちゃんと伝えればいいと思います。 出村:仮に無人駅だったとしても、その近隣の有人駅から駅員さんがまわってきてくれたりするので、事前に言っておけばですね。だけど、通勤で毎日毎日、駅員さんに頼むのもね? ちょっと気が引けるとか、そういうのであれば、やっぱり訓練を受けて、自分の頭の中でこの駅のつくりとか、それはちゃんと知っておかないと。とりあえず、あそこの点字ブロックの上を歩かない。より安全なほうを歩くほうがいいんじゃないかなと。これは街中でもそうだと思うんですけど、やっぱり、ブロックどおりに進めたら苦労はしないし。 中村:あと、一部の駅にはあるんだけど、ホームドアじゃないけど柵がついている駅があるんですね。 SG:ああ、柵がありますね。 中村:JR春日駅とか、全部じゃない一部ではあるんですが、あれが普及したらいいんじゃないかなと思うんですよ。もちろん、列車によってドアの位置が違ったりとかするから、全部の駅に取り付けるのは難しいと思うけど。でも、ホームドアを全部つけるようにするよりは経費はかかんないと思うんですけどね。 出村:あと、点字ブロックを杖で伝って言ったんですけど、それよりもっと一番いいのは結局、電車が来るそのホームの落ちる所? 下に落ちますよね? 「落ちる所に、最初から杖をあててたら、どう? 」と思うんですよ。 中村:まあ、そうですよね。ここから先に行っちゃまずいと。 出村:これで終わりでしょって。それさえできりゃ、もう点字ブロックがどうとか要らなくないっていう。だから、それは街中でもそうですよね。歩道を歩いていて、歩道の点字ブロックをずっと伝って歩くよりも、歩道と車道って、基本的に段差があるじゃないですか?だから、その段差の所にずっと杖をあてて行ったら絶対落ちないよねって。 中村:そうですよね。車道に出ないようにするために。点字ブロックがない歩道もあるけど、そういう所だったら、歩道の端の部分、車道との境目の所にあてながら行くのが安全でしょうね。 出村:うん。段差を確認しながらっていうかね? SG:ただ、僕が思うのは、そういうことも頭に入ってる、いわゆる「ベテランの視覚障害者」の方でさえ、そういう事故にあってるというのをよく聞くんですよね。 中村:まあ、過信というか慣れですよね。 出村:うん。それは本当に慣れ。 SG:だから、一つ思うのは、例えば、そういう事故を少なくするためにフェンスを作るとか、信号については音声付きの信号をここには設置してほしいとか、そういう声を一人じゃなかなか挙げづらい時ってあると思うんですよね。そういうのを、例えばこの「ノー・リミット」の会とかで、みんなの声として、協力して行政に訴えるみたいな。そういうことも、この会の中のプランの1つとして、あればいいなと。 出村:実はですね? 年に1回、そういうのをやっている所があるんですよ。アンケートがまわってくる、確かMZさんからまわってくる。 中村:ああ。いろいろまわってくるね。 SG:MZさん? 出村:そう。ああいう所からまわってくるんですね。「どこか、交差点でここは信号がついたほうがいい」とか、「危ないと思う交差点がどうのこうの」とか、やっている所はあるんですよね。 でも実際にあの信号? 例えば、僕が行っている職場がそうなんですけど、博多バスターミナルっていう場所があるんですね? そこは浮島みたいになっているので、そこから博多駅の博多口に出る所に横断歩道、音声の信号があって、そして逆側に出る時にも、やっぱり横断歩道があるんですよ。ところが、博多口にあるほうの信号には音声がついているんですけど、逆側はないんですよ。音声がない。僕はそこからそっちに行きたいんだけど、結局、音声の信号がないので行けないんですね。 だから、これをどこに言うの? 西鉄バス?って西鉄バスに言うと、「いや、うちじゃありません」と。じゃあ福岡県?「いや、違います」と。じゃあ市ですか?じゃあ福岡市に聞くと、「いや、違います」と。 中村:信号は警察だよね? 出村:そう。結局、信号って警察なんですよね。だから、警察に「こことここが、こうなんだよね。こういうふうだと困るでしょ? 」って言ったら、警察の人も「ああ、分かりました。じゃあ上にあげときますね」って。でもその時にその人が言ったのが、「出村さん? 県議さんとかに知り合いっておられませんよね? 」って。「おるか、そんなもん」って答えて言って。誰やねんって言って。でも、そういう人がいたほうが、やっぱり上に話が通りやすい。 中村:通りやすい。 出村:うん。 ガイドさんA:私、筑紫野市で「みちしるべ」っていう社協の団体なんですけど、そこと視覚障害者の方が声をあげて、会の中に市議会議員さんの奥さんがいらっしゃるのもあって、それで実際に朝倉街道駅の踏切の手前に、 出村:点字ブロック? ガイドさんA:何もなかったんですけど、ブロックがなかったんですけど、それを今回、やっつけ仕事ではあったけれど、作っていただいたりしてますね。だから、やっぱりそういう市議会の方とか議会の方とかがいると強いのかなとは思います。 出村:やっぱり、賄賂とか? 中村:20年前ならあったけどね? ガイドさんA:朝倉街道駅でYMくんと待ち合わせをしている時に、西鉄だと思うけど、ポスターで「料金が上がります」みたいなことが書いてあって、そういう、 SJ:あれですよね? それ、たぶん全国、 ガイドさんA:あれ、全国なんですか? SJ:運賃に対して10円か20円プラスして。 ガイドさんA:ああ、そうそう。あれ、全国で? SJ:主要な鉄道会社とかで、3月か4月。 ガイドさんB:3月27日からです。 ガイドさんA:今日、私初めてポスターを見て。 SJ:それはもともと、関東とか、ああいう大きな所が最初にやりだしたんですけど、それに西鉄も参加されるみたいで、少し料金が上がる。それで駅のホーム扉とか、そういったのも。 ガイドさんA:そういう動きがあるらしいです。 SJ:まあ、いつになるかは分かりませんけど。 中村:ですよね? ガイドさんC:西鉄なんか、あれだけ高架ができたばっかりでホームドアすらついてませんからね? ガイドさんA:ねえ? 確かに。 中村:だから、ホームドアじゃなくてもいいと思うんですよね。柵だけでも。 FK:天神みたいにゴムでもいいんですけどね。 出村:でもやっぱり、もちろんその仕組みというか、それももちろん要るけれども、やっぱり一人で行こうと思うならですよ? 「ちゃんとしとけ」って思うんですよね。絶対に自分に自信があってもやっぱり落ちる時はあるんだけれども、中にはやっぱりいるじゃないですか? 「とにかく作れ」と。後先考えずに作れ作れと言ってるけど、でも今出た中でも、こうやっていろいろと対策は個人で打てるじゃないですか? 個人で打っている対策を、人によって情報を知っている人、知らない人っていると思うんですよ。「ああ、そのやり方は知らなかったな。それ、ちょっとやってみよう」とか、「今まで自分はこういうやり方でやってみたけど」みたいに。 でも、そういうのが、今もこうやって視覚障害者の方が十何人いますけど、十何人でもそれぞれやり方が違うと思うんですよ。一人ひとり。細かく言えばですよ? でもそういうやり方の情報をみんなで集まって共有して「ああ、それ便利そう? 」って実際に試してみて全部やってみて、それでも落ちると。その時に初めて、仕組みのほうに動けばいいんじゃないかなと、これは僕の個人的な考えですよ? でも、「その前に、個人で頑張ってみたの? 」って。僕は仕組みよりもここを推したいんです。 そしてそれを後押しするように、今も個人でいろいろと、いろんな視覚障害者のアプリが出てますよね? 「アイナビ」とか、カメラを使ってとか。 例えば、今度やろうとしている「ナビレク」っていうアプリがあるんですけど、これは自分でガイドを作って、例えばこのあいあいセンターから天神駅までというようにスタートとゴールを決めて、実際に1回、ガイドさんと誰でもいいから知り合いと一緒に歩くんですよね。途中で、「ここは横断歩道です」とかいう所でポイントというかマークをつけておいて、ポイント1。横断歩道を渡った所にポイント2というふうに、左折して何メートル歩いた所でポイント3というふうに、マークをつけていくんですね。ちょうど、犬が電柱にマークをしていくように。それで全部、ひととおり歩いて道案内のガイドみたいなものが作れるんですね。作っておくと、これで次回、自分があいあいセンターから行こうかと、さっき作ったガイドをつけると、スタート地点に立ってますよね?さっき言ったポイント1に向かって歩いて行きます。そして、その途中で、それこそさっき言ったように方向がそれたと。「あれ? 確かそろそろここらへんでポイント1だったよね? でも、なんか違うな」と思った時に、iPhoneをぐるーっと、「ポイント1はどこかな? 」と360度ぐるーっとあてていったら、ポイント1をつけた方角とピタッと合った瞬間にiPhoneが震えるようになっているんですね。だから、方角がずれた時に方角を修正してくれるっていう機能を備えているんですね。 じゃあ、iPhoneで方角が合ったからポイント1のほうに向かっていくと、「ここがポイント1です。じゃあここから右を向いてポイント2に渡ってください」というふうに、一回一回、自分が途中でつけたポイントにiPhoneを合わせていくだけで方向もずれなく安心に行けるっていうアプリがあるんですね。 そして、このガイドのいいところは、みんなで共有ができるんですね。 例えば、SGさんがガイドを作ったと。あいあいセンターから天神駅まで。でも、他の人は歩いてないから知らないんですよね。だけど、SGさんが作った、この「あいあいセンターから天神駅まで」というガイドを、みんなの共有のスペースみたいな所にアップロードしておくわけです。そしたら、例えば僕が全然関係ない時に、「あいあいセンターから天神駅までっていうガイド、どこかにないかな? 」って探したら、「SG作」と書いてあるんですね。 SG:ええ? そんなのあるんだ? 出村:作った人まで書いてあったかどうか分かんないけど、でも「あいあいセンターから天神駅まで」というガイドが「おお、あるな? 」と思ったら、これを僕がダウンロードする。そしたら、僕の携帯でも同じように使える。だから、そうやって、動いてくれる人が多ければ多いほど、このガイドの本数も増える。今、福岡ではこのガイドの本数って30本か40本ぐらいあるんですけど、 SG:それって、まだ出たばっかり? 出村:いえ、全然。 SG:前から? 出村:結構、前です。3~4年前から。あの「メガネのヨネザワ」ってありますよね? SG:はいはい。 出村:ああいう感じで、そういう福祉用具を扱っている関東のほうにあるメガネ会社で『アメディア』という会社があります。ここが出している「ナビレク」というアプリがあるんです。一応、無料です。そして今は、健常者の人が、例えば僕たちが「ここからここまでのガイドがほしいよ」ということをリクエストしたら、健常者の人たちがそれを受けてガイドを作ってくれるんですね。 ほら、例えば今は現地に行かなくても、「ストリートビュー」みたいなのでそこの街並みの様子をカメラで見れるから、実際には歩いてはないけど、それを基に「こういう感じだよ」とガイドを作ってくれるんですね。だから、それで自分たちが行きたい所のガイドを手に入れて、あとはダウンロードして歩いてみると。だから、関東でのガイドの本数も3000本とかあるんですね。 あと、「板付団地からマルキョウまで」みたいな、そんな感じに近い、細かいガイドとかもいっぱいある。そういうアプリがあるんですけど、これを今度、ちょっと後で言おうと思ってたんですけど、7月9日が、この「ナビレクの日」という、ナビレクが誕生した日らしいんですね。そしたら、さっきの『アメディア』の社長さんという人が、さっきの「チームハーネス」の松井さんという方が『アメディア』の「ナビレク」の賛助会員になっているんですね。そういう感じでつながりがあるもんで、今度、その7月9日のナビレクの日に「チームハーネス」の松井さんの所で、組んで何かイベントをやらないかと言われたんで、うちがそれをやろうかということに。 だから、今度その7月9日にみんなで実際に「ナビレク」を使って実際に歩いてみようかという企画を今、やろうかとしてるんです。 SG:面白い。 出村:あ、いいですか? いいですかっていうのもあれですけど。それで、そこでなんですけどね? 実際に7月9日に、「ここを歩きたい」とか「ここ、行って見たい」とか。例えば、新天町ってありますよね?新天町ってお店いっぱいあるけど、実際にどこにどの店があるとか分かんないじゃないですか?「ここ、うどん屋なの? パスタ屋さんなの? 」って。でも、そういうのもポイントを歩いている途中のうどん屋の所でマークをつける。「うどん屋の○○、メニューは○○があります」、そして2軒目の○○、というふうに、音声も一緒に吹き込めるからですね。一応、テキストでもある。文章でも見れる。実際に歩かなくても、家の中で「ここはこういうふうになってます」というのは文章でも、ちゃんと音で聞ける。だから、「このアプリを今度試してみないか? 」ということを今日、提案して帰ろうと思ってたんです。 ガイドさんB:先取りしちゃったんだね。 出村:そうそう。めっちゃ先取りしたんです。ね? 中村さん、ごめんなさいね。 中村:いや、いいけど。 SG:ありがとうございます。 出村:いやいや、とんでもないです。めっちゃ時間かけた。ごめんなさい。 中村:他に何かお話ししたいことありますか? 皆さんのほうで。そしたら次回なんですけれども、先ほど「ナビレク」の話が出ましたけど、そこに向けてということで、次回は「視覚障害者の歩き方」。視覚障害者が家から外に出た時に、どんなふうな移動方法があるかとか、あるいは歩行訓練、これが基本だと思うんですけど、そういった訓練をどこでどんなふうに受けられるのか、皆さんもいろいろな経験がおありだと思いますけど、そういったもの。それから、ガイドの使い方。同行援護の使い方とか、そういったことをお話しできたらとは思ってます。もちろん、私も全てのことを知ってるわけではないですので、今日来ている皆さんにそういった協力のお願いをするかもしれません。まだ、今日ここに来られてないですけど、来られてない方をスペシャルゲストとしてお招きしてお話をしていただくようなことも考えております。また、次回の開催日時とか、詳しい日時なんかは、グループラインのほうでお伝えしたいと思いますので、また参加してもいいなと思われたらグループラインのほうで「参加する」とメッセージを書き込んでいただきたいと思います。こんなもんでいいかな? 出村さん? 出村:はい、大丈夫です。すいません。遅くなりました。申し訳ない。ごめんなさい。 中村:すいません。今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。また今後とも、よろしくお願いいたします。お疲れ様でした。 SG:お願いします。 出村:ありがとうございます。一応、この部屋自体は17時まで借りてるので、このまま居座って雑談してもいいですし、ご自由にということで。ちなみに、今からこのあいあいセンターの6階を、「こんなふうになってますよ」という見学を今から、僕とYMくんのほうでやりたいなと。 ガイドさんA:よかったらKRさんも一緒に。 出村:はい。じゃあ、見学してみたいという方がいらっしゃったら僕についてきてください。それ以外の方で、まだ雑談できるよという方はこちらに残って雑談していただいても構わないです。大丈夫ですので。あとは、一応、お開きということですね。 中村:じゃ、あと、出村さん? またこっちに戻ってくるやろ? 出村:きます、きます。 中村:ああ、じゃあ。 出村:GYさんとSJさんの連絡先みたいなのを聞いといてもらっていい? 中村:SJさんは出村さんが聞いといたほうがいいんじゃない? 俺でもいいけど。 出村:ああ、僕でもいいですよ。FKさん? マジで? 中村:風邪をひかんどってくださいよ? FKさん? FK:寒いもん。 出村:もうひいてるだろ? SG:ひいたね? FK:最悪。 (01:45:45)