「ノー・リミット」を立ち上げた目的と経緯

このページでは「ノー・リミット」を立ち上げた目的と経緯について書いています。

正直、視覚障害者の団体など、たくさんありそうなのに、なぜ、わざわざ立ち上げようと思ったのか?

その必要性についてと言うと大げさですが、「こういう集まりがあったらいいんじゃない?」と思ったわけです。

その理由について、ちょっと長いですが書いていきます。


「ノー・リミット」とは?

「ノー・リミット」は中途視覚障害者で全盲の出村と弱視の中村が立ち上げた団体です。

そして、その目的は、

  1. 若い視覚障害者が集える場を作りたい
  2. 視覚障害者になったばかりで、これからどうしていいか、どこに行けばいいのかなどの情報共有の場を作りたい
  3. 視覚障害者がどのような仕事ができるのか、また、実際にどのような業務をしているのか、また、その技術の向上・共有をしたい
というものです。

つまり、1は「サークル」、2は「生活情報」、3は「就労」というカテゴリに分けられます。

それぞれについて、以下、説明します。


若い人たちが集まる場所がない!

ではまず、「1.サークル」についてです。

実際に、視覚障害者のサークルというものは福岡県内および福岡市内にもあります。

そして、参加にあたって年齢制限があるわけでもないので、若い方はもちろん、ご年配の方も集まることができます。

しかし、その実情はというと、その大部分がご年配の方ばかり、
それも50代や60代ならまだ若いほうで、70代や80代といった方がほとんどです。

誤解をしていただきたくないので先に言わせていただきますと、決して「高齢者は集まるな」などということではありません。

しかし、これが現存の視覚障害者のサークルの実情なのです。

そして、そんな集まりに、20代~40代の若い人が、
「視覚障害者の集まりがあるから行ってみたら?」
という誘いを受けて足を運んでみたらどうなるでしょうか?

また、そのサークルでどんなことをしているかというと、

といった感じです。

では、極端な話、70代以上の方が49人、20代が1人という集まりだったとして、
同年代がいないから、結局、自分から誰かに話しかけるようなこともほぼなく、
せいぜい、司会者の方から自己紹介をお願いされて、名前と年齢と住所を言って、あとは終わりです。

もちろん全員がそうとは言いませんが、実際に若い人が通い続けているという話を聞かないのです。

それはなぜか?そこの集まりに若い人がいないということが分かり、単発で終わるため、またその次にまぐれで来た若い方ともつながることがないからです。

さらに言えば、最初はまだ
「もしかしたら、自分と同じ境遇の、同年代の人がいるかもしれない」
という希望があったわけですが、実際に足を運んでその状況となると、その希望すらなくしてしまい、
むしろ行く前よりひどくこじらせ、引きこもってしまうことすらあるのです。

そのため、結局は
「年代に合った集まりが必要だ」
ということが言えると思うのです。


視覚障害者はみんなどこで何をしているの?

では次に、「2.生活情報」についてです。

これは特に中途の方が陥りやすいのですが、今まで晴眼者として、見えている世界で生きていた人間が、生活の中で視力が悪くなり、弱視または全盲になったとします。

ここでは私の実例で少し説明をします。

私はもともと晴眼者でしたが、14歳でⅠ型糖尿病を患い、長い年月を経て視力がだんだん下がってきている状況でした。

そして31歳の頃、突然目の前がパッと光ったかと思ったら、次の瞬間には両眼とも目の前が真っ白になりました。

もう自力で歩くことは困難となり、すぐタクシーを呼んで診察、入院となり、そこからレーザー治療や手術を数回行いました。

しかし、糖尿病の状態も悪いことから治療の効果も薄く、両眼ともにそれ以上回復することはなく、視覚障害者となったわけです。

しかし、この段階ではまだ「視覚障害者」ではありません。

役所に行き、視覚障害者手帳の申請をして交付されて初めて「視覚障害者」となります。

まず、この段階で

今だからこそこれだけの疑問がわくわけで、当時の私は失明したばかりということももちろんありますが、
そもそも「視覚障害者」に関することを何も知らなかったのです。

ただ、私の場合は入院していた病院の相談員さんが「役所で収入障害者手帳を取ってきてね」って教えてくれたからいいものの、教えてくれない所も数多く存在するらしいです。

そしてその後、居住している区の福祉課に行き、手帳の申請をします。

すると、職員さんはその手続きを受理し、ただ、「はい、受け付けました。数か月すると手帳がきますので、また連絡しますから受け取りに来てください」と言って終了しました。

ここで思ったのが、

私はこの時は父親に連れてきてもらいましたが、身寄りがない人はどうやって来るのだろうなと純粋に思ったのです。

また、この段階では、私には「全盲」とか「弱視」などの存在も分かりませんでした。つまり私の中では「視覚障害者というのは全く見えない人たち」という認識だったわけです。

でも、そのような認識を持っているのは私だけではなかったということが、今となれば分かります。つまり、
「視覚障害者」というものに対する一般の方の認識というのはそんなものだ
ということです。

話を戻します。そして数か月後、手帳を受け取りに役所に再び行き、職員さんが手帳を手渡してくれました。
そして、「これが障害者手帳です。交通機関などが割引になりますので、使う時には事前に見せたらいいですよ」、これだけ教えてもらいました。
しかし、そのほかには何も説明はありませんでした。

この段階で、

などという疑問があります。

そして結局、これで役所は終了でした。

ただ、この時、私の中で「視覚障害者は白い杖を持っていた」と思い出したので、職員さんに尋ねました。

すると、「ああ」といった感じで、業者がたくさん載っているリストを持ってきて、
「この中から好きな所を選んで申請に行ってください」
と言われました。ここで

とは思いました。

また、父親に聞くと、その業者の数は10や20などではなく、とても多いと言っていました。

そして

と思いながら、父親が帰り道に近い業者を選んで、そこに直接向かいました。

そしてその業者の会社に着いて白杖のことを尋ねると、分かりましたと言って申請書を用意して、それに記入し、受理してくれました。

そして、その数週間後に業者から連絡があり、自宅まで持ってきてくれました。

その際に受け取ったのは「折りたたみ」ではなく、
「ねじを回してゆるめたら長さが調節できる、長い時は120cm、短い時は30cmぐらいにできる収納杖」でした。

つまり、「一人で杖をついて歩く用の杖」ではないわけです。

そのようなわけでこの時の私は「白杖とは、全てこの形態なのだ」と覚えたのです。

つまり

ということを知らなかったし、知ることができなかったのです。結局、この事実は2年後まで知りませんでした。

そしてそんな杖を我流で使いながら、自分の住んでいる近くを歩いてみましたが、
そもそも、「自分1人で歩くような杖」ではないので、めちゃくちゃです。

ただ、この段階では、

ということすら知らないわけです。

そのため、

などという概念が最初から頭にないわけです。

そしてそんな状態が2年も続きました。ただ、その頃には家族の協力もあり、団地の6階から1階のゴミ捨て場まではどうにか1人で行けるようになっていました。

ただ、ほかの場所へは行けません。単純にゴミ捨ての時だけ、そのためにだけ外に出るといった感じでした。

というよりも、それ以外では一人で外に出ることを禁じられていました。危ないからという親心からです。

ただ、そうは言っても、自分的には外を歩きたいなとはいつも思っていました。

そんなある日、いつものようにゴミ捨てのため白杖を持ち、ゴミ捨てに向かっていました。

すると、私の上の階に住んでいる人がやはり全盲の夫婦で、そこに来ていたガイドヘルパーさんが私の白杖を見て、
「ガイドヘルパーは使われているんですか?」と声をかけてきてくれたのです。ここで、

ということで尋ねた結果、そこで初めて「同行援護」という福祉サービスを知ったのです。

それから、そのガイドさんのいる事業所と契約することになりました。

そのため、もし、ここで声をかけられていなかったら、今の私はなかったでしょう。

つまり、何も知らないままに、ただ時を費やし、外出することもできずに、ずっと家で過ごす人生だっただろうと思っています。

考えただけでも恐ろしいことです。

何はともあれ、これで外に出ることができるようになり、ここからさらに自分の世界が広がっていったのです。

ちょっと長くなりましたが、いかがだったでしょうか?

つまり、この(18)までのことを知るのに、私は2年を費やしているわけです。
しかも下手したら知ることができなかったかもしれないのです。

「外に出ることができると分かるまで」に2年、ただ情報を知らなかっただけで、それだけの年月を無駄にしていたのです。

しかし、もし、

このうちの1つにでもたどり着いていたら、2年という年月を無駄にしなくてすんだかもしれないのです。

ただ知らないだけで2年、5年、10年、もしくは一生を無駄にしていたかもしれないのです。なんてもったいないことでしょうか?

そんな無駄をできる限り減らしたい!これがこの会を立ち上げた2番目の理由なのです。


視覚障害者の仕事=「マッサージだけ」ではない

すみません、「2.生活情報」でかなり長文になってしまいましたが、最後は「3.就労」についてです。

そもそも、一般の人からすれば、その大部分の人が
「視覚障害者=全盲・全く見えない人」→「何も見えないのだから、働くことができない」
というのが、ほぼ一般常識として浸透しています。

つまり、前項でも述べましたが、「全盲以外の種別」という認識がないのです。

言い換えれば、「視力ゼロの人こそが視覚障害者」だという認識なのです。

さらに言えば、「少しでも見えている人は、視覚障害者ではない」という認識すらあるわけです。

しかし、実際は違います。

視力そのものはあっても視野が針の穴ほどしかない「視野欠損」と呼ばれる人や、
光がとにかくまぶしくて目を開けていられない「羞明」と呼ばれる人など、
「全盲」と呼ばれる人以外にも「ロービジョン(弱視)と呼ばれる方がいるということを知っている人は、案外少ないのです。

・参考ホームページ↓

・「見えない」「見えにくい」とは?

ただ、「全盲」と呼ばれる人の中にも、いろいろと種別があるのですが…、ここでは触れないことにします。

さて、そんな認識だからこそ、視覚障害者が働くことを知っている人も少ないですし、知っていたとしても、
「視覚障害者の仕事ってマッサージでしょ?」それしかないんでしょ?」
という認識がほとんどなのです。

しかし、これは一般の人だけの認識ではないのです。つまり、
「視覚障害者当事者ですら、このように思っている人がいまだに多い」
ということなのです。

それはなぜか?答えは簡単です。これも結局、
「情報がないから」なのです。

正確に言うなら、「自分で新しい、正しい情報を取ることができないから」なのです。

そしてこれは視覚障害者当事者だけではなく、当事者を取り巻く人たちの認識、知識、情報にも左右されてしまうのです。

つまり、一人で住んでいる視覚障害者当事者はもちろんのこと、家族と一緒に住んでいる視覚障害者当事者が自分で情報を取れなかったら家族に聞くわけですが、
家族の認識が先ほどのような間違った情報、昔の情報であったなら、当事者はそれを疑いもなく信じ、
その結果、「視覚障害者が働くのはマッサージしかない」と思い込んでしまうわけです。

しかし、今の世の中は違います。

インターネットやIT技術の進歩により、目で見なくても画面上の情報を音声で聞き、操作できる「スクリーンリーダー」が誕生しました。
これにより、パソコンだけでなくスマホや家電なども音声で操作することができるようになりました。

それはつまり、就労だけではなく生活に関してもさまざまな便利なもの、
これまで視覚障害者にとって操作が不自由もしくは不可能だったものが、今ではかなり使えるようになっており、その数も増えてきているのです。

一例を挙げれば、今まで紙に印刷されている書類を読もうとすれば、
周りの誰かに読んでもらうか、点字にしてもらうか、拡大読書器というもので文字を大きくして自分で読むかぐらいしかありませんでした。

それが今では専用の機会で書類をスキャンして音声で読ませたり、その読み取った文字を自分の見やすい大きさや色に変えたり、
さらにはその機能もスマホでできるようになり、そのスマホの操作自体も音声で操作することができるようにもなりました。

これだけでも、昔に比べて視覚障害者の生活そのものが向上していることが分かります。

そして、それはつまり、
「パソコンを視覚障害者が使える」ということであり、それはつまり、
「事務系の仕事はもちろん、プログラミングやホームページ製作・作詞作曲・ライター・文字起こしなど、それ以外の多くの業種に就くことも可能だ」

ということなのです。

ちなみに、私の知り合いで、CADを使って家の間取り図を描いている全盲の人がいます。私は図形が苦手なので考えただけでも頭痛がしますが。
このように、人によって実にさまざまな道が開けるということなのです。

また、この音声機能というのは、別に全盲だけに限るわけではありません。
弱視の人にとっても、実に便利な代物なのです。

そしてこのように言うと、決まって「実際に見えなくなってから覚えればいい」と言う人が多いです。
しかし、全盲の私がはっきり言います。見えている時に音声だけでの操作を覚えるほうが、実際に見えなくなってから覚えるより100万倍楽だぞということです。

それはなぜかというと、全盲の場合、音声で操作していて、実際に現在の画面がどうなっているのか、どう変化したのかを自分だけで把握・確認するのはかなり困難なのです。

もちろん読み上げてくれる項目は多いです。しかし、それもあくまで「そうなっているんだろうな」という想像でしかないのです。

そのため、1つ1つの項目を覚えることにかなり時間を要しますし、なにより初めは自分一人だけで画面の状況がどうなっているかを把握するのは無理、つまり、
完全に見えない状態では、一人だけで学習を進めることができない
ということなのです。ある程度慣れたら、そこからは一人で進めることもできる部分も増えますが、最初から覚えようとする時に一人ではほぼ無理です。
そして結局、自分の想像と実際にどうなっているかの答え合わせが自分ではできないからです。どうしても、「目」が必要なのです。
そのため、私たち全盲は「実際にどうなっているか」をいちいち人に聞いて覚えるのです。
「この読み上げの場合は、画面がこうなっている」、「この操作をすると、画面はこう変化している」という具合です。
どれほど時間がかかるか想像がつくかと思います。

しかし、視力のある人だと自分で確認ができるわけです。そのため、まだ視力がある状態で、「視力がない状態、音声だけでの操作」を覚えるのは、それに比べてかなり短い時間で習得できるわけです。

そして音声での操作を覚えておくことはまだ見えている状態でも、とても役立つと思うのです。
見えづらい人にとって、パソコンの文字をずっと見るのは苦痛だと思うのです。

そこで、普段は画面を全く見ずに音声を聞いて作業を行い、
それだけではちょっと自信がないなと思った時に初めて目を使って確認するという方法なら、目にかかる負担を軽減することができるでしょう。

そのため、今は見えているとしても、
<

労力が少なく済むうちに覚えたほうがいいよと言っているわけです。


優劣ではなく、選択肢の数の問題

このように言うと、「マッサージを軽視しているのではないか」と思われる方がおられるかもしれませんが、そのようなことは全くありません。
むしろ逆です。あるほうが絶対に良いに決まっています。

マッサージの資格というのは国家資格です。

そして、開業もできるため、技術を磨き、人とのコミュニケーションを磨けば、一生食いっぱぐれがない貴重な資格なのです。

さらに今の時代というのは、全ての人が開業をしなくても、企業の中でその社員さん向けにマッサージを行う「ヘルスキーパー」と呼ばれる職種もでき、
今では大手・中堅企業でも、かなり広まってきています。

そういう意味でも、この資格を取れるのなら取っておいて損はない代物なのです。

結局、私が言いたいことというのは、
「マッサージだけしかない」のではなく、
「視覚障害者でも選べる職種は、もっとたくさんあるんだよ」
ということを言いたいのです。

つまり、「選択肢が1つしかない状態」より、
「選択肢が50ある状態のほうが、自分ができることも増えてさらに道も広がり、人生が楽しく豊かなものになるし、何より、心に余裕ができるよね?」ということを言いたいのです。

そして、能力が、できる仕事の幅が広がれば、ただ会社から言われたことをやるだけの「作業」ではなく、会社のためになるような提案をこちらからできるようになり、
障害者雇用率という制度で仕方なく雇われている不安定な状態ではなく、「本当にこの人は自分たちの会社にとって有益だ」という認識を持たせることができれば、
そこで初めて、会社にとっても視覚障害者にとってもお互いに良い信頼関係が築けることになると思うのです。それはつまり、この会社にとって、自分が必要な人材だと認められるということなのです。

そして、そこまで到達することができれば、毎日の仕事がわくわくします。
なぜなら、自分が必要とされているという喜びを感じることができるからです。
そして、自分のアイデア・考え方・手法によって自分の勤めている会社に利益を創りだすことができるからです。
それこそが本当の意味での「仕事」であり、新しい自分を創りだす活力になると思っています。

つまり、就労は生活のためにお金を稼ぐだけの作業ではなく、自分の人生を豊かに彩るものだということです。

このような理由から、「ノー・リミット」は「就労」をメインに掲げているのです。



いかがだったでしょうか?これらの情報共有・実践を行いたいと考えて「ノー・リミット」を立ち上げたわけです。

では、そのためにはどんなことをするのか?それについては、今後の活動方針で書いておりますので、読んでみてくださいね。

かなりの長文でしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました!

また、

など、何か関わりたいと思っていただけた方は、出村までご連絡をお願いいたします。

そして、ご周知についても、どうぞよろしくお願いいたします。